標高約700m付近、榛名山の中腹に位置しています。湯縁起では垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代に開かれたという説と、天平時代の僧、行基によって発見されたという説が伝えられています。どちらにしても南北朝時代の書物にすでに温泉が湧き出ていると書かれているのですから、本当に古くからある温泉なのです。
また、万葉の時代、「伊香保」は今の榛名山一帯を指していたようで、多くの歌が詠まれてきました。「万葉集」巻14の東歌の中で、上野国(群馬県)の部には「伊香保」に関する歌が25首中、9首詠まれており、歴史の古さを物語っています。
ところで、イカホの名前の由来ですが、その語源は、アイヌ語のイカホップ(たぎる湯)からきているとか、上州名物のイカヅチ(雷)と、燃える火(ホ)と関連がある等と伝えられています。
400年以上の歴史を刻み、湯の町を眺めてきた石段坂。伊香保温泉の中心地は石段街とも呼ばれ、石段をはさんで両側に旅館やホテル、みやげ物屋が並んでいます。この町並みの始まりは、天正4年(1576)にさかのぼります。代々伊香保に在し、上杉氏やがては武田氏の配下にあった木暮下総守祐利ら(後の伊香保温泉共同体成立の推進者にして大屋となる人達)が、傾斜地を活用して温泉街を造成したのが湯の街の始まりとされています。
石段の町は、当時としては時代の最先端だったはずです。長篠の合戦の後、武田方が傷を負った武士たちの治療のために造られたものともいわれ、そうであれば、石段街は日本初の温泉リゾート都市計画に基づいて造られた街といえます。現在の石段は昭和55年からの5年間で、天正以来の大改修が行われたもので、御影石が敷かれています。
伊香保温泉には湯の色が特徴の『黄金の湯』と無色透明な『白銀の湯』があります。もともとは黄金の湯で、湯の中に含まれる鉄分が空気に触れ、酸化して独特の茶褐色になっていきます。刺激が少なく、肌に柔らかな湯のため、伊香保温泉は療養や静養の地として多くの人を癒してきました。また特に体を芯から温め血行を促すとして女性に優しい『子宝の湯』として知られてきました。
また平成8年に伊香保温泉事業協同組合の設立により、無色透明で豊富な湯量を誇る『白銀の湯』が利用され始め今に至っています。